ホーム > モザイクよもやま話5 > 47:大村先生と小島先輩
ホームページを開設してから、多くの方々よりアクセスをいただきました。某設計事務所さんから「住野さん現場名間違ってますよ」「エッセイを楽しみに読んでます」「モザイクを経験してみたい」「働きたい」など様々です。
なかでも東京都立九段高校の広報誌担当者からのお電話で「玄関ロビーの壁画を制作された会社を探してましたら、日本モザイクさんのホームページにたどりつきました。原画の大村蓮先生の題名と違っています。『九段生の四季』先生にお会いして聞きました」私は慌てました。間違いにお詫び申し上げました。
当時は作家の方と細かい打ち合わせができず、お役所より原画を渡されたきりでした。原画に忠実に創ればいいのですがイメージか湧きません。しかもモザイクに無い色が多く、既存の材料では到底表現できません。
色がないなど作家につたえられない。考え続けても1人では結論が出ないので、先輩の小島和茂氏に相談しました。
ガラスの他に大理石を使うにも予算がない。これから焼き物を創るにも時間がない。「ない、ない」と言う私に先輩は、「他のために創っている練り込みを使おう。ただし自分が制作するから」と原画を手にしたままきっぱりおっしゃいました。その言葉に私は驚きを感じました。
練り込みは陶土と磁器土に釉薬を混ぜ、角の棒に仕上げ、800度で焼成します。割台に乗せ1センチほどの長さにハンマーで割っていきます。その頃小島先輩は大理石で高価でしかも手にはいらない色、ピンク、ブルーを焼き物で創っていました。
現場納品前にアトリエにご案内すると大村先生は大喜びされました。私は一番聞きたいことを質問いたしました。「何をイメージされたのですか?」「タイトルは?」
先生は、床のモザイクを目下に「生徒達への熱い思いを壁画に込めることができました」と私たちにお礼を言ってくださいました。
当時の美術教諭であった大村蓮先生を、昨年、おたずねになった広報担当者の方がこうおっしゃいました。「実は先生は大病されており、お話されるのもやっとな状態でした。それからしばらくされて.....」
1986年から今日まで、そして壁画が存在する未来まで、先生のメッセージは永遠に続くのです。
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